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JSCAシンポジウム-構造デザインの歩みとこれから

2011年07月18日 01:10

先日、JSCA主催でシンポジウムが行われた。


もともとは
構造デザインの歩み―構造設計者が目指す建築の未来
の発売記念講演のようなものだったらしいが、
震災の影響で延期になり、やっと開催されたようだ。






色々話はあったのだけど、
一番盛り上がったと思われるのは「合理性とは何か」といったお話。


パネルディスカッションの前に、佐藤淳さんによる
「なぜ、薄く軽くを目指すのか」
というお題でプレゼンが行われたが、そこで、


…一般に、材を数多く、繊細にしてゆくと素材の使用量は多くなる。
材の繊細さ、軽快さを追求することが、ときに単なる「好奇心」とも捕らえられてしまう。
ここに構造エンジニアのジレンマが潜んでいる。


とおっしゃられていた。


つまり、


一般的に、材料の使用量が少ないほど良しとされるわけだけど、
解析技術や施工技術が今ほど発展する前においては、
それは即ち部材の繊細さの追求によっていた。
でも今はどんどん繊細な部材の構造が可能になったけど、
その分、部材が増えて使用材料の量も増えてしまう。


材料を少なくすることが合理的であるとすれば、
部材を過剰に繊細にすること(使用材料の量が増えるということ)は、
合理性に欠ける。


ということ。


いずれ私もこういったジレンマに遭遇するのだろうか(笑
楽しみでもあったり。。。などと思ってしまう。


ちなみに、ここで言っている合理性というのは、
「構造的合理性」という構造的な側面だけである。
(無論、経済的合理性等にも関連するんだろうけど措いておく事にして)


そこで山梨知彦さんの刺激的な言葉、


「構造的合理性とはもはや死語ではないか?」


が発せられる。
要は、
「構造的合理性」という一つの枠で考えていては駄目でしょ、
環境とか、意匠とか、総合的に考えて合理性を考えないと、
という事。(だと思う。


従って、これからは、
意匠、構造、設備、全てに精通する存在が必要だ、
という提案がなされた。


新しいようで、物凄く古い考え方。
この提案の背景にはBIMの発展が大きいと考えられるのだけれども、
BIMってそんなにすごいのだろうか。。。


しかし、そういう問題ではなく、
どんなにコンピューターの技術が発達して人間の作業量が抑えられたとしても、
人間が吸収しなくてはならない知識量は変わらないわけで、
そもそも、そこに分業化した理由があるはず。


だから、藤原徹平さんが、この提案に対して
「それができるのは1、200年後の話」
とおっしゃっていたけれども、
私は逆で、どんどん分業化が進んでしまう気がする。


例えば既に、構造家の中でも
Sが得意な構造家、Wが得意な構造家といった特色が出始めていると思う。
そんな中、さらに意匠や設備の知識を頭に入れるのはかなり非現実的。


ただ、私が山梨さんの提案に惹かれたのは、
構造家が構造の事だけ考えているというのはおかしいでしょ
という考え方で、
それが今の自分自身への忠告のように聞こえたからかもしれない。


いずれにせよ、山梨さんの発言は刺激的であった事は間違いない。


そして建築家のプレゼン能力というのは構造家のそれに比べて高いよなー
と思いつつも、
最後の方に佐藤さんが言った


「意匠、構造、設備がベン図のように少しずつ交わっていればいいのでは。」


という、なんとも一般的な発言に激しく共感して
私の頭の中は収束したのであった。


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